末廣亭3月上席夜の部
柳家小三治一門会 きゅりあん大ホール
2/28(火)、きゅりあん大ホールで行われた「柳家小三治一門会」に行ってきた。
鈴本演芸場2月下席昼の部
奥さんの火の玉が出てきて「おいおい、すごい勢いだな。まぁこっちにおいで」という言い方が優しくて、きゃ~。(←あほ)
鈴本演芸場2月下席昼の部
鈴本演芸場2月下席昼の部
2/26(日)、鈴本演芸場2月下席昼の部に行ってきた。
本当は金も土も行くつもりだったのに、まさかの風邪でぶっ倒れ。いやぁまいった。
今日はどうしよう大丈夫だろうかと思いながらも、えいや!で出かけたのだが、寄席でゲラゲラ笑っていたら、からだに残っていただるさが吹っ飛んで行った。わーい!
・かな文「たらちね」
・ろべえ「旅行日記」
・翁家社中 太神楽
・文蔵「寄合酒」
・小満ん「馬のす」
・ロケット団 漫才
・菊志ん「宮戸川(上)」
・小ゑん「ミステリーな午後」
・のだゆき 音楽パフォーマンス
・一之輔「天狗裁き」
~仲入り~
・にゃん子・金魚 漫才
・圓太郎「真田小僧」
・はん治「妻の旅行」
・二楽 紙切り
・さん助「崇徳院」
ろべえさん「旅行日記」
おもしろい!
陰気なところがちょっと苦手だったろべえさん。真打昇進前に吹っ切れたか!すごく楽しかった。「なじみの宿」に来たつもりの男のやられ加減が素敵。
文蔵師匠「寄合酒」
兄貴分が「なんですって?」って言ったのがツボ。こういう噺の「兄貴」が本人とかぶるから楽しさが倍増。
与太郎の味噌には会場中が固唾をのんで見守っていて最高だった。
小満ん師匠「馬のす」
ヒートアップした客席をすっとさます。でも決して冷やすっていうわけじゃなくて、もう少しこう…噺をきいてくすっと笑う落ち着いた雰囲気に変えるっていうか。だから小満ん師匠がひざ前ってすごくやりやすいんじゃないだろうか、と素人了見で思ったり。
今日は出番が入れ替えになっていて、この位置。
いつものマンホールや美術館の小噺で会場がどっと沸く。
そこからの「馬のす」。
馬の尻尾を抜いてるところを見た友だちの反応が、確かにすごく意味深なんだな。ちょっと体を斜めに引いて「え?抜いたの?」って。
家に上がって酒を出してもらうと馬の尻尾の話はそっちのけで床屋の小噺。もうこれが好きで好きで。銀座の床屋だったんだね、じつは。そこをたっぷりやって、酒をぐいっと飲んで枝豆を全部やっつけて。
最初から最後まで楽しかったー。
菊志ん師匠「宮戸川(上)」
菊志ん師匠、一周回って苦手に戻った(笑)。
一之輔師匠「天狗裁き」
夢の話を聞きたがる大家が「最近面白いことがなんにもないんだよー。面白い話を聞かせてくれようー。」と言ったり、お奉行様が「この仕事、つまらないんだよー。外にも出られないしさー。だから願書を見た時に、この夢の話聞きたいと思ってさー」と言ったりするのがおかしい。
一之輔師匠は、ダレるところはすごい早口で飛ばしたり、ここってところはちゃんと間を作ってやるから、はずさないんだなぁ。すごいな。
さん助師匠「崇徳院」
とてもエキセントリックな「崇徳院」(笑)。
ちょっとムキになりすぎたような感じがしないでもない。なにもそんなに青筋立てて叫ばなくてもね、いいと思うの…。お客さんとの波長が合わないと思うとついムキになってしまうんだろうけど、押せば押すほどお客さんは引くからなぁ。
とはいえ、くまさんが「水も滴る」を「血も滴る」と言い間違えたり、「茶袱紗」を言えなくて変な雄たけびになったり、「背をはやみー」といきなり大声を出して床屋にいた客がびっくりしたり、と笑いどころが満載。
ハイテンションのくまさんが右往左往するのは見ていて楽しい。
この噺、たいていダレるんだけど、さん助師匠のはダレる隙を与えないから、そこがすごいなぁと思う。
昨日は「黄金餅」だったらしく(友人談)それも見たかった!
屋根裏の仏さま
- 作者: ジュリーオオツカ,Julie Otsuka,岩本正恵,小竹由美子
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2016/03/28
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★★★★
100年程前、夫となる人の写真だけを頼りにアメリカに嫁いでいった日本の娘たち。失望とともに結婚生活をはじめ、厳しい労働を強いられながら、子を産み育て、あるいは喪い、懸命に働いて、ようやく築いた平穏な暮らしも、日米開戦とともにすべてが潰え、砂漠のなかの日系人収容所へ―。「わたしたち」という主語を用いて、女たち一人ひとりの小さなエピソードがつぎつぎと語られるうち、その小さなささやきが圧倒的な声となってたちあがる、痛ましくも美しい中篇小説。
「写真花嫁」として日本からアメリカに渡った少女たち。
相手の写真と手紙だけを頼りに今より少しでもいい暮らしができると信じて不安と希望に胸をふくらませて。
しかし彼女たちを待っていたのは写真とは似ても似つかぬ男たちだった。
過酷な労働、差別、暴力、出産。逃げ出したくてももう日本には戻れない。夫に逆らってはいけない、不平不満を言ってはいけない、あるもので満足しなければいけない。
心の中にある故郷だけを心の支えに生きる日々。
それでもどうにか「家族」になり、そんな日本人家族が集まった日本人町で、ささやかな幸せをつかみかけたかと思った矢先に戦争が起きる。
「スパイ」の疑いをかけられて彼らは一斉に収容所へ連行される。
ひたすら耐え続けた彼女たちの声が幾つも幾つも重なりうねりになって襲いかかる。
彼らのいなくなったあとの、不在がなにより恐ろしかった。彼らがしたこともしなかったことも、その存在さえも忘れられてなかったことにされる悲しさ。
特定の主人公はなく「わたしたちは〇〇だった。」という文章が輪唱のように次々繰り返されていくことによって一枚の絵のようになって心に迫ってくる。
読んでいる間、とてもしんどかった。
鈴本演芸場2月下席昼の部
2/22(水)、鈴本演芸場2月下席昼の部に行ってきた。
・あおもり「狸鯉」
・時松「子ほめ」
・ロケット団 漫才
・一之輔「桃太郎」
・一九「親子酒」
・ストレート松浦 ジャグリング
・文蔵「目薬」
・しん平「時そば」
・のだゆき 音楽パフォーマンス
・白酒「茗荷宿」
~仲入り~
・にゃん子・金魚 漫才
・圓太郎「強情灸」
・小満ん「粗忽長屋」
・二楽 紙切り
・さん助「按摩の炬燵」
時松さん「子ほめ」
八五郎が聞き違えて「ブラジル人?」と言ったのがすごいツボで笑いが止まらなかった。最高。
文蔵師匠「目薬」
もう何度も見てるのにすごくおかしい。
尻を出せと言われたおかみさんが「もう…変な薬買ってきちゃったなぁ」とつぶやくのがすごく色っぽくてかわいらしい。
しん平師匠「時そば」
時そばがこんなに面白いって!二番目の男のとほほが爆発的にとほほでおかしい。
白酒師匠「茗荷宿」
よく聞く「寄席」に来るのが一番というまくらで、歌舞伎やなんかをディスるのに「よぉーーーっ」と一瞬やった真似がおかしくておかしくて。
「茗荷宿」の茗荷づくしも何度見ても笑ってしまう。
小満ん師匠「粗忽長屋」
「粗忽長屋」もなんか違うんだなぁ、小満ん師匠がやると。なんかさらっと素敵なの。ああ…なんというボキャ貧…。
さん助師匠「按摩の炬燵」
すごくよかった。さん助師匠のハイテンションエキセントリックも嫌いじゃないけど私はやっぱりこう…ちょっと抑えた時の感じが好きだなぁ。
小僧たちが番頭さんのところに布団を少しだけでいいから増やしてほしいと言いに来るところ。すごく子どもらしくてかわいらしい。(なのに金坊はなんであんなにかわいくな…もごもご…)
それに対する番頭さんが最初は厳しいことを言うんだけど、小僧さんたちがみんなしょんぼりして謝るのを見てかわいそうに思うところも…なんともいえず魅力的。
療治を終えた按摩さんが泊まって行けと言われて二つ返事をするところも、きっと番頭さんのことを信頼しているんだろうな、というのが伝わってくる。
お酒を飲みながら按摩さんがいろんな話をするところ。
見合いをしたら相手が美人じゃなかったというのを言うところが、私はすごく好きだな。目が見えなくたって、美人の方がいいんだ!っていうの。この按摩さんの人間が出ていて面白いなぁって思う。
炬燵になってからの按摩さんの一人語りも、番頭さんの足が一番冷たいって言って、大店の番頭だけど店の者の手前炬燵も使わない番頭さんへの尊敬の気持ちや、按摩だけど自分は好きにやれることの誇りのようなものも匂わせて、好き。
小僧さんたちの寝言も子どもらしくてかわいいし。
すごくよかったー。またこの日のお客さんにも合っていたように感じた。
さん助ドッポ
鈴本演芸場2月下席昼の部
2/21(火)、鈴本演芸場2月下席昼の部に行ってきた。
・小多け「子ほめ」
・時松「強情灸」
・ストレート松浦 ジャグリング
・文蔵「手紙無筆」
・一九「時そば」
・ロケット団 漫才
・菊之丞「長短」
・しん平「初天神」
・のだゆき 音楽パフォーマンス
・一之輔「天災」
~仲入り~
・にゃん子・金魚 漫才
・圓太郎「親子酒」
・小満ん「宮戸川(上)」
・二楽 紙切り
・さん助「妾馬」
時松さん「強情灸」
学校寄席に行った時。子どもは素直に笑ってくれてるのに先生(ギャル風味)はまったく笑わない。意地でも笑わない。じーっとにらみつけている。でも最後の方になってようやく口の端がきゅっと上がった。よっしゃー笑わせたー。という小さな達成感。
「みなさんこれからもまた落語を聞きたいですか」と聞くと子どもたちは元気に「はーい」「ききたいでーす」。
調子に乗って「先生はどうですか」とふってみると「…まじ意味わかんねぇ」。
…ぶわははは。時松さんのまくら楽しいわー。
そんなまくらから「強情灸」。
ほんとに顔が真っ赤になって、見ていて熱い!
文蔵師匠「手紙無筆」
まくらでお客さんに向かって「俺、先に帰るかんね」とぼそっと言ったのがすごいツボで大笑い。前は苦手だった文蔵師匠、今はすごく好きになってきた。不思議。
文蔵師匠の「手紙無筆」は前にも聞いたことがあったけど、表情が豊かで遊びがいっぱいあって、いままでにないくらいの楽しさ。なんだったんだろ、あれは。
偉そうにしてる兄貴と文蔵師匠が重なり合ってなんともいえないおかしさだった。笑った笑った。
一九師匠「時そば」
最初の客がいちいち「そばやー」と呼びかけるのがなんか変で妙におかしい。
リズムがよくて気持ちいい。
菊之丞師匠「長短」
長さんが上方の人版の「長短」。
短さんの威勢のいいのがすごくいいアクセントになっていて、聞いていて楽しい。
菊之丞師匠、「町内の若い衆」「親子酒」「強情灸」以外も寄席でかけるようになったんだね。嬉しい!
しん平師匠「初天神」
大好きなんだよな、この師匠。なかなか当たることがなくてたいてい浅草で漫談なんだけど、この漫談がひっくり返るぐらい面白い。
この日もお客さんがほぼ満員でベタな雰囲気だったから漫談だろうなと思っていたらなんと「初天神」。これがまたハイテンションですっごく楽しい。
親父が子どもみたいでおかしいし、息子が「〇〇ですよ」とちょっと説明調で言うのがなんともいえずおかしくて笑ってしまう。楽しかった!
小満ん師匠「宮戸川(上)」
もしかして今ほとんどの人がやってる「宮戸川」のこれが原型?
変わったところはないのに他の人のやられているのとは全然違う。なにが違うって…なんだろう。すごくさらっとしていて、ちょっとかっこよくて、でもくだらなくて。
おじさんがおばあさんの寝姿を見ながら「ばばあ」呼ばわりするのもなんともいえずかっこいいんだよー。なんでだー。
素敵だった。
さん助師匠「妾馬」
まくらなしで噺に入って、いいぞいいぞと思うワタクシ。苦手なまくらを無理にふることはないのよ!(←勝手に「苦手」と言い捨てる)いやべつにまくらが面白くないというわけじゃないんだけど、言った後に変な間を作るから微妙な空気になるし、その微妙な空気を受けてなんかテンション下がってる感じがあるし、だったらやらないでもいいのではないか、と。そう思うわけであります。
この間「さん助ドッポ」で聞いた「妾馬」とはずいぶん変化していた。
あの時はとにかくアンチ人情。人情味ゼロの「妾馬」だったんだけど、この時の「妾馬」には人情味も何割かプラスされていて、それがすごくよかった。
八五郎が大家さんのところに行って支度金をいくら欲しいか言えと言われて「女郎にしたらいくらで売れるか」と計算したりするところは変わらないのだが、屋敷に行ってお鶴と会うシーン。お殿様にお鶴と話をさせてくれと頼んで、お鶴が「兄さん」と声をかけると、「もうそれで十分だ」と八五郎。なんかぐっときてしまった。
そうだよなー。やっぱりこの噺は兄が妹を想う気持ちが伝わってこないとこの噺の良さが失なわれてしまうんだよな。
昼席のトリの初日。いったいどうなるんだと心配していたけれど、さん助師匠らしい「妾馬」、とてもよかった。
大江戸悪人物語2017-18 episode1
2/20(月)、日本橋社会教育会館で行われた「大江戸悪人物語2017-18 episode1」に行ってきた。
茶光さん「時うどん」
この会が悪人をテーマにしてますから、私も前座ですが数えるほどのレパートリーの中から悪人の噺を。
そう言って「時うどん」。
兄貴分から一文かすめたやり方を聞いた弟分が「お前…悪人やなぁ!」と溜めて言ったのには笑った。たいした前座さん。
松之丞さん「慶安太平記ー生い立ち~紀州公出会い」
寄席以外で松之丞さんを見るの久し振り。私が見てない間に売れっ子になっちゃって!
久し振りに見て、あれ?太った?(私も人のことは言えないけど)
「私…みなさんお気づきだと思いますけど、太りまして…今91キロあります」。
会場がざわつくと「やめてください。そのさざ波のような反応」。
家にある体重計が体重だけでなく体脂肪や筋肉量やいろんなものを計れるらしいのだが、それで体年齢を見たら53歳だった。もういいおっさんやん。
講談師として考えたら円熟味が増す頃。でもそれが芸はまだそんなでもなく体が円熟しきっちゃったって…。
しかもそんなところにananの取材が。
ホームページのシャープな頃の写真を見てオファーしてきたに違いない。
でも日にちもないし取り繕うすべもなく取材場所に出掛けていくと、いかにも業界人ぽい人たちがあれ?で、デブが来たぞと。明らかにデブだぞと。そんな反応。
で、これはもう私服もダサいし洋服は無理!と思われたらしく、さっさと着物に着替えさせられ、黒紋付きとか光当てたり角度変えたりして、どうにかこうにか。あとは多分修正入るでしょう。顔の辺りはこうしゅっと削ったり、腰回りもこう余分な肉をしゅっと削って。
本人そのものじゃない写真を楽しみに見てください。
…ぶわははは。相変わらずまくらがキレキレだなぁ。ほんとに面白いんだよなぁ。それでハードルをがっと下げておいて、講談に入るんだよなぁ。すごいわ。
そんなまくらから「慶安太平記ー生い立ち~紀州公出会い」。
まずは発端ということで由井正雪の誕生秘話から幼少期の話。
正雪は武芸だけにとどまらず、学問、書、絵画と習い事全てにおいても完璧で見聞を広げようと西方へ旅に出る。旅の途中でたまたまでくわした紀州公の目に留まり城へ置いてもらうようになるのだが、徳川のお目付け役である安藤に、本性(悪性)を見抜かれ城を出される…。
ここぞというところは息もつかせぬ勢いでたたーん!と語りこんできてとても迫力がある。でもずっとそれではなくて、時々ギャグを入れてふっと力を抜かせるなど、自由自在。
成金とかはなんかもう大変そうだから行く気になれないけど、こういう会で定期的に松之丞さんを見られるのはいいかもしれない。
龍玉師匠「真景累ヶ淵ー宗悦殺し」
「真景累ヶ淵ー宗悦殺し」は馬治師匠で一度見たことがあって、続きが聞きたい!と思っていたので、この会に通えば最後まで聞くことができるというのはありがたい。
龍玉師匠の方は声を張ったりせず、淡々とした語り口なんだけど、その分凄みがあって恐い。
宗悦も一癖ありそうだし、深見新左衛門も身勝手な奴がなまじ中途半端な権力を持つとこうなってしまうんだな、という嫌な感じがありありと。
前に聞いたときは殺された宗悦の死骸を樽にいれて運ぶところまで?だったが、今回はその続きも。
夫が宗悦を殺したことを知っている妻は床に臥せてしまい、息子も呆れ果てて家を出てしまう。お手伝いとして家に入ってきたお熊が新左衛門に言い寄りいい仲になる。
ある日新左衛門が妻の療治にと按摩を呼ぶのだが、この療治を受けた妻はますます具合が悪くなる。
次の日に通りかかったのが別の按摩で、新左衛門が肩を揉ませてみると刺されるように痛い。何事かと振り返ってみるとこの按摩が1年前に殺した宗悦。化けて出たかと斬りかかるとそれは宗悦ではなく妻。
乱心した新左衛門は隣の屋敷に暴れ込み、そのまま殺されてしまう。
カンランシャ
★★★
夫婦でいるとか、恋人でいるとかって、本当はどういうことなんだろうな。不動産会社に勤める瀬尾隆一は、大学時代からの先輩・蛭間直樹の妻・いずみのことが気になっている。いずみから直樹が浮気をしているのではないか、と相談を受けたのがきっかけだった。自身の妻・信子とは2年前から別居中で、すでに愛情は枯れてしまっている。次第に距離を縮めてゆく二人だが、失うには大きいものが多く、なかなか踏み込めない。そんな関係が煮詰まってきたある日、直樹が病院に運ばれた―。
読み終わった直後は「なんじゃこりゃー」と激昂して、読書メーターの方にも「登場人物四人とも好きになれないけど、特に直樹と愛がもうなんの魅力もないというか不快感しか感じさせない人物で、まぁとにかく勝手にやってという感想しか持てない。」なんて書いていたんだけど。(実はもっとひどいことを書いていたんだけど次の日見直して直した)
でもちょっとしてから、これはこれでありかもしれない、と思い直した。
登場人物に魅力がなくても彼らの「不倫」が安っぽく感じられたとしても、ある種の真実は描かれていると思う。
恋愛に引っ張られる時の勢いとか愚かさとか、そういうものがとてもリアルに描かれていると思った。
「私たちは汚くて綺麗だ」は名言だな。
気がついたらいつも本ばかり読んでいた
著者の20冊以上にのぼるスクラップブックから精選した、各紙誌掲載の書評原稿やエッセイに加え、映画、音楽、演芸、旅、食、書店についてのコラム、イラスト、写真によるお愉しみ満載のヴァラエティブック。
★★★
本について書かれた本が大好きなので読んでみたんだけど、微妙に好きの方向が違っていて心にひっかかるものがあまりなかった。…すんません。
笑福亭たま 深川独演会
2/17(金)、深川江戸資料館で行われた「笑福亭たま 深川独演会」に行ってきた。
アンケートに答えるとたまさんから定期的にメールや封書でお知らせが届く。メールに返信すれば予約できるので「お、そうか。この日なら行ける」と気軽に予約。こういうことって結構大事だよなぁ、と思ったり。
・あまぐ鯉「新聞記事」
・市楽「持参金」
・たま「人形買い」
・たま「鰍沢」
~仲入り~
・兼好「粗忽の使者」
・たま ショート落語
・たま「警備員」
市楽さん「持参金」
ちょっと反感を買いやすい噺を明るくからっと。
女に会った時に男が「なんだ。聞いてたほど悪くないじゃないか。いや、おれ好きだよ、お前みたいな女。」と言ったのが好印象。これがあるとないとで後味がね。でも酷いなら酷いでそれも落語らしくていいけどね。
たまさん「人形買い」
四代目春団治襲名についてあれこれ。
おかしかったのは、こぶ平が正蔵になった時、たまさんは「え?なんで?こぶ平で有名なんだからそのままでええやん。正蔵って…地味!」と思ったと。
なんかいかにもたまさんらしいなぁ。たまさんって、ほんとに風流とかそういうの「おもろないやん」って思っていて、「粋な落語」っていうのもほんまはおもろないけどそう言ったらかっこええと思って言ってるだけやろ?っていう。
いやいやいやそれだけじゃないんだよ。ゲラゲラ笑う爆笑じゃない、面白くないけど面白いとか、そういうの、べつに通ぶりたいとかそういうんじゃなくあるんだよーと反論したくなるけど、でもそういうけろっとしたところ嫌いじゃないんだよな。
あと面白かったのは、東京はおじいさんの落語家がたくさんおるから代演も困らないけど、大阪は春団治師匠が休むことになると同じぐらいのおじいさんがおらんから困る、っていう話も面白かった。
いろいろはっきり言うからちょっとドキドキするけど、けろっとしているから聞いていてひたすら楽しい。たまさん、いいなー。
そんなまくらから「人形買い」。
上方では3人ぐらいしかやってないと言ってたけど、私は何回か聴いてる。東京の方がやる人が多いのかも。
なんかたまさんの落語って上下もあんまり振らないし、声色もあんまり変えないから、二人の男がわちゃわちゃ言ってるとどっちがどっちなのかわからなくなるんだけど、それがまたなんかうるさくておかしい。
人形買って戻ってくるとき、小僧の定吉がおしゃべりで店の若旦那の女好きをべらべらしゃべるのがおかしい。それに喜んで金を払う男も。
長屋に帰ってきてからは、占い師、講釈師、祓いたまえ屋の三人の独特の口上があって、それも聞かせどころ、なのかな。
面白かった。
たまさん「鰍沢」
ここまでですでに1時間を経過していたので、ここから「鰍沢」?と驚いたのだけれど、たまさんによれば「私の鰍沢は短いです。12分ぐらい。今の噺と同じようなテンションで聴いてもらえれば。」
そんな前置きがあっての「鰍沢」。
いやもうこれが。わはははは。
お熊がどう見ても、大阪のおばちゃん。旅人も大阪のおじちゃん。
ストーリーは確かに「鰍沢」なんだけど、毒消しを飲んだ旅人がお金を取り戻しに家に戻りお熊に追いかけられ、毒消しを飲もうと手を伸ばす亭主の薬をばーんと蹴っちゃったり、ただただばかばかしい。
なのにお熊が火縄銃を撃とうと構えるところは結構きれいだったりして。
こんな「鰍沢」もあるんですね…という「鰍沢」だった。「鰍沢」に思い入れの強い人だったら怒るかも?でも別物だからこれはこれでよいよね。
兼好師匠「粗忽の使者」
出てくるなり「もういいでしょ。お腹いっぱいでしょ。揚げ物たっぷり食べた後にまたステーキかよ!って感じでしょ」と兼好師匠。
たまさんの「鰍沢」について、「圓朝に祟られますよ」と一言言ったのもおかしかった。
たまさんのCDジャケットを「顔が白すぎて菊人形みたい」だの、たまさんのまわりにはいつも人が大勢いるけど友達じゃなくてみんな面白がって遠巻きに見てる人たちだの、言いたい放題。
そんなまくらから「粗忽の使者」。これが軽くて楽しい!たまさんと二人会とかゲストに出たりとかされてるらしいけど、確かにこの組み合わせはいいかも!たまさんがこてこてだから兼好師匠の軽さがちょうどいい感じで。
粗忽者の家来が粗忽だけど侍らしくてそこも楽しかった。笑ったー。
たまさん「警備員」
前に出た兼好師匠がたまさんの着物について「派手な着物の時はウケたいとき、黒紋付きの時はモテたいとき」と言ったのを「全然ハズレてます」。
誰かの会のゲストで出る時はたいてい派手な着物を着ていくんだけどそれは黒紋付きなんか着て行って「三三師匠みたいな落語をやるのかしら」とあらぬ期待をされないため。ド派手な着物を着て「あ、この人は白鳥師匠よりの人や」と最初から覚悟してもらうため、と。
確かにたまさんハンサムだからその危険性はあるよね。わははは。
ショート落語のあと「警備員」。
事故ゼロをうたっている警備会社だけど実態はそうではなく、かなりダーク。
新米警備員が先輩に「これは警察に言った方がええんちゃいますか」と言うのだが、「今の社長にはよくしてもらってるんだからそんなこと言わんでええ」「警察が来て会社がつぶれたらどうするんや」と先輩。
基本的にはダジャレの連発でくだらないんだけど、なんかばかばかしい繰り返しに笑ってしまう。
2時間半、たっぷり笑って楽しかったー。
キャッツ・アイ
★★★★★
主人公の女画家イレインが回顧展を開催するためにふるさとトロントに戻るところから、回顧展が終了しヴァンクーバーへ帰るまでの期間が作品の設定である。アトウッドは幼少時代をケベック州北部で過ごしたが、その時の体験は彼女のどの作品にも色濃く反映されており本作も同様である。少女時代に恐怖のいじめを受け、自分が無価値で無意味な存在と思い込まされたトラウマを絵画に表現することでサバイバルをはかり、憎しみの呪縛から自分自身を救い出していく画家半生の物語。完成までに四半世紀を要したという本作はアトウッドの自伝的要素が強いと考えられている。追憶によって現在と過去が共存するようになり、読後に読者の胸に深い余韻を残す。
画家として成功したイレインの半生が語られる。
少女時代をトロントで過ごしたイレインはそこでいじめに遭い、その傷が大人になった今も疼く。
いじめの首謀者であったコーデリアとは高校生になってからも関係は続き、ある時から立場が逆転する。
子ども時代の閉塞感や、自分が有利に立った時に沸き上がる残酷さなどがリアルでぞくっとくるが、イレインの少女時代は決して陰鬱なだけではない。
幼少期の想い出は風景や遊びなどを軸に色鮮やかに描かれてとても美しい。
また彼女はそのトラウマを絵画に表現することで昇華させていく。
一方コーデリアの方は学校をドロップアウトし一時は女優として花開くように見えたが、精神病院に入り落ちぶれていく。
思い出すことすら禁じていた場所を訪れたイレインが達する境地が胸を打つが、この後も人生は続いていくことが暗示され、ここが終着点ではないということを示唆している。
自伝的要素もきっとあるのではないかと思える、静かだけど凄みのある物語だった。
マーガレット・アトウッドはやっぱりすごい。